マザーレイク 琵琶湖

心と体のこと

2018年09月04日

9月となりました。残暑はまだ続きそうですが、ひとまずやれやれ、というところでしょうか。甚大な被害をもたらした西日本豪雨、連日の猛暑…。天候だけをとってみると、とても過酷な夏だったように思いますが、皆様はどのように過ごされましたでしょう。

 

私はといいますと、正直のところ、心身共にとても消耗した夏でした。開店から6年となる今年は、年初からなにかと難しさを感じる年でした。無我夢中だった5年を過ぎ、至らなさばかりが目についたり。先延ばしにしていた問題が、一気に噴出したり…。解決していくには、知恵も経験もまだまだ足りず、手をこまねいているばかり。「6年目の壁」というものがあるのかどうか存じませんが、いよいよ力を試される年にさしかかったんだなぁと、見えないプレッシャーがつきまとう前半戦でした。

 

こうした精神状態に追い打ちをかけたのが、今年の天候。日本各地で起こる想定外と言われる異常気象の連続に、先の見えない不安が増幅したのでしょうか。心身のバランスを保つことが、とても難しい夏だったように思います。(ブログ西日本豪雨のこと

 

そんな身には夏休みが待ち遠しいところですが、世の中のお盆休みは、「しののめ寺町」がふだんより賑わう時期。毎年、少しあとにずらして夏休みをいただくことにしています。が、この時期からの一日一日の堪(こた)えることといったらありません。人間の体は、お盆に休養するようにできているに違いない、と思うくらい。暑かった今年はなおさらで、一日千秋の思いで待つ夏休みでした。

 

店を始めるまでは旅好きだった私ですが、今は計画することも、出かけることも億劫に。休みは「ただただ家にいたい派」になってしまいました。気づけば、もう何年も旅行らしい旅行をしていません。体は楽ちんですが、気持ちをリフレッシュするには、やはり違った場所に身を置く方がいいのかも…。

 

今年は気持ちの疲れの方が勝(まさ)っていたのでしょうか、そんなことを考えていると、無性に琵琶湖に行きたくなりました。ここなら京都からは近く、面倒な計画も要らず、日帰りでも充分のんびりすることができます。

 

夏休みに入った初日、スイッチを一気にオフにすべく、さっそく出かけてみました。幸い猛暑が一段落した日。あいにくの曇り空で、湖面も美しい色とは言えませんでしたが、疲れた心身には、これくらいがいい感じ。琵琶湖から吹く風は心地よく、あぁ、夏休みだぁ~と、心も体もたちまち解放された気分になりました。

 

なにしろ琵琶湖が大好きな私。以前は、年に何度も出かけたものです。大きくて、穏やかで、眺めているだけで、安心感に包まれるよう。心沈む時などは、一人でふらりと出かけ、飽かず湖面を眺めたことも。開店間もない頃、行き詰まった思いで出かけた先も、やっぱり琵琶湖でした(ブログ滋賀県 菅浦 つづらお荘)。琵琶湖は「マザーレイク(母なる湖)」と呼ばれていますが、私にとってまさにそんな存在です。

 

久し振りに眺める琵琶湖は、やっぱり大きくて、穏やかで。いいことも、そうでないことも、すべて優しく包みこんで、受け容れてくれました。リゾートと呼ぶにはあまりにささやかですが、とても豊かな時間を過ごすことができました。

 

長い長い夏でした。過酷だった分、いろんなことを考え、そのなかで気づくことがたくさんありました。気づいたことを、後半戦は行動に移していける人になりたい。うまくいくこと、いかないこと、あるでしょう。それでも、失敗を恐れず。たとえ失敗したとしても、そんな自分をも受け容れられる私でありたい。琵琶湖を眺めながら、そんなことを思った夏休み…。

 

私の心の中に、碧(あお)い水を湛えた、小さな小さな湖が生まれた気がしています。

 

【追記】このブログは、台風で臨時休業となった9月4日午前に書き上げました。それから想像を絶する台風の襲来。幸い、自宅と店は大丈夫でしたが、各地で大きな被害が出ているもよう。心からのお見舞いと、一日も早い復旧をお祈りしています。

地震のこと

心と体のこと

2018年06月26日

先日の6月18日、月曜日の朝の地震には驚きました。仕事に出かける直前のこと。けっこう揺れましたが、すぐに治まり、いつも通りに店に向かいました。

 

店に着いてテレビをつけると、震源地はお隣の大阪とのこと。思いのほか影響は大きく、交通の乱れも報じられています。前日の日曜日にお越しいただいたご旅行のお客様は、きのうのうちに帰宅されただろうか。発送した荷物は大丈夫だろうか。いろいろ案じられ、不穏な思いのスタートとなりました。

 

店のパソコンには、早速にご心配のメールがいくつか届いていました。ほかにも心配してくださっている方があるかも…。ご覧になっているかどうかわかりませんが、せめてもと、店のフェイスブックで無事の旨のお知らせをした次第です。

 

今回の地震で犠牲になられた方には、心からのお悔みを申し上げるとともに、今も不自由な生活を余儀なくされている方には、一日も早い復旧を祈るばかりです。

 

上の写真は、地震の二日前の土曜日に撮ったものです。月が好きなことは、このブログでも何度か書いています(ブログ三日月 ブログ月は満ち 欠け また満ちていく)。仕事帰りに、夜空を見上げ、月を眺める。一日の終わりのささやかな楽しみです。

 

その日は触れると指先を切りそうなくらい、細く尖った三日月でした。その上に、光る星ひとつ。まるで見えないチェーンでつながった星と月のよう。なんだかドラマチック…。束の間、メルヘンの世界にいざなわれた気分で、飽かず眺めていました。

 

いつも携帯しているカメラで撮影すると、意外にも見たままに写すことができました。こうして見ると、一枚の切り絵のよう。僭越ながら、切り絵作家、藤代清次さんの絵を思い出しました。

 

その夜はたまたま綺麗な月と星だった。それを見つけて、いつにも増してうれしかった…。その時は、ただそれだけのこと、と思っていました。

 

いろんなことがある毎日、店をやっていると、なおさらです。いいこともたくさんあるけれど、そうばかりはいきません。それでも、ともあれ一日を無事に終え、安堵と感謝を胸に、夜空を見上げる帰り道。それだけで、なんて幸せなことだろう。改めて写真を眺め、そんなことを思っています。

 

地球もひとつの星。そこに間借りさせてもらっている私たち。地球には地球のなりたちというものがあって、人間の都合に合わせるわけにはいかないでしょう。それでも、どうか地球の神様、穏やかでいてください。そう祈らずにはいられません。

 

大震災を経験された方のご苦労はいかばかりか。どんなに想像力を働かせても及びません。が、お隣大阪が震源地ということで、我が事としていろいろ考えさせられた、今回の地震でした。

 

あの日から、月は日に日に丸みを帯び、満月も近いような。当たり前に見ていた月の変化が、とても愛おしくられる感じられるこのごろです。

私の中の女の子 2

心と体のこと

2018年05月01日

以前のブログでも書きましたが、私の中に一人の小さな女の子がいます(ブログ私の中の女の子)。

専門的なことはよくわかりませんが、インナーチャイルドと言うのだとか。誰の心の中にもいると思うのですが、私の場合、会ったことがあるというか、なんというか…。見える、というのは珍しいことかもしれません。

もともと人から「変わっている」とよく言われる私。このブログでも、怪しげなことを書いているなぁと思うこと、たびたびです(笑)。ですが、正直がモットー。引かれるのを覚悟で、ありのままを書いてみようと思います。

女の子に初めて会ったのは、私が二十歳過ぎの頃。当時、勤めていた会社の研修が東京であり、その帰りの新幹線の中でした。車内はすいていて、二人掛けの席を一人占めで、東京駅のホームで買い求めた文庫本を読んでいました。

任務を終えた安堵感と、そのあと東京で遊んだ高揚感。ちょっと大人になったような満足感もあったでしょうか。心地いい疲労感に浸りつつ、ふとページから目を上げた時でした。

唐突に、幼い女の子が現れました。頭の中に浮かんだ映像なのでしょうが、私には「現れた」という感覚でした。

3歳くらい。短いおかっぱ頭。こちらに背を向けてしゃがみこみ、棒切れかなにかで、地面に絵を描いているようです。舗装などされていない、砂の地面。あたりの風景は見えないのですが、私が生まれた家の近く、幼い頃によく遊んでいた路地であることがわかります。

女の子は無心で一人遊びに耽っています。その姿は幼くはあるけれど、存在感が絶大で、私は近寄ることも、声を掛けることも、ましてや触れることなど出来そうにありません。顔は見えませんが、私は確信します。

その女の子は、幼い日の私…。

突然、涙が溢れました。なんの涙なのかわかりません。強いて言うなら、侵しがたいものへの、畏怖の念のような。しばらくして、女の子は消えました。

あまりに不思議な出来事でした。なにかメッセージを届けに来たのかなぁと思いながら、日々の生活のなかですっかり忘れていきました。

再び、彼女が現れたのは、さらに20年近く経った頃でしょうか。人生半ば、いろいろ思い悩む時でした。女の子はまた唐突に現れ、初めての時と同じ状況で佇んでいます。私は彼女より相当、年齢の離れた大人になっているにもかかわらず、やはり彼女の絶大な存在感に圧倒され、怖れさえ感じていました。

以来、女の子は頻繁に現れるようになります。彼女はなにがあっても弱音を吐かないし、わがままも言わない。とにかく我慢強い。決して動じることなく、いつもそこにいます。

彼女がすべてを引き受けてくれている。彼女にはとうてい敵わない…。私にとって、女の子はそういう存在でした。

変化が表れたのは、店を始めて一年くらい経った頃でしょうか。女の子は、振り返るようになり、無邪気に笑ったり、時に泣いたり。少しずつ感情をあらわにするようになりました。彼女が安心した表情でいられること。いつからか、それが私の中の指標になりました。

その彼女、今年に入った頃からでしょうか。どうしたことか、なんだかやんちゃになってきまして。思うままを口走ったり、大声で泣きわめいたり。いやはや私は手を焼くばかり。通るわがままもあれば、通らないわがままもあり。それでも泣いて叫んだあとは、気が済むらしく、またあどけない表情に戻ります。

店を始めて、たくさんの方に出会い、たくさんの経験をし、たくさん心を揺さぶられ、私の中の女の子は、本来の子供らしさを取り戻してきたのだなぁと思います。あまりに遅ればせではありますが。

女の子は、とりもなおさず、私自身…。

彼女に翻弄されながらも、決して嫌ではなくて。むしろ、もっともっとわがままを言ってしまえ。秘めてきた思いを全部、吐き出してしまえ。なんて、けしかけている私です。

年齢は一年一年重ねていくもの。過去にさかのぼって、やり直すことなど許されません。が、本当にそうでしょうか。私自身、時々、人生を逆行して生きているような気がすることがあります。あるいは、どこかの地点から生き直しをしているように思うことも。もしかしたら、人生は行きつ戻りつできるのかも。

上記の写真は、私が大好きなサラ・ムーンという女性のカメラマンの作品。今回のタイトルで、ふと思い浮かんだ写真です。それを自分のカメラで撮ってみました。

いつにも増して怪しい話にお付き合いいただき、ありがとうございました。まだまだ摩訶不思議な、私の中の女の子。これからの変化を、またご報告できたらと思います。

アロマキャンドルヨガ

心と体のこと

2018年03月24日

以前のブログでも書きましたが、店を始めてから、自宅近くのフィットネススタジオに通うようになりました。夜遅い時間や店の定休日を利用して、ヨガやピラティスといったプログラムに参加しています。(ブログ

店をやっていくためには、なんといっても健康が一番。体のメンテナンスのためにと通い始めたのですが、思いのほか心のケアに役立っていることに驚いています。なかでも金曜日の夜のアロマキャンドルヨガは、心身共にリラックスできる心地いいプログラムです。

週休二日のOLさんたちは、ここで一週間の疲れを癒して、素敵な週末に入っていかれるんだろうなと想像します。水曜と第2、4木曜が定休日の私は、金曜日はまだ始まったばかり。そうはいかないのが、ちょっと辛いところではありますが。

照明を落とし、アロマキャンドルの灯りと香りのなか、まずはヨガマットに横たわり、目を閉じて、力を抜いて、深い呼吸を繰り返すことから始まります。

この時に先生から掛けられる言葉が、心にストンと落ちていくことがあります。まるでその日の私のために用意されていたかのように…。とてもシンプルな言葉なのですが、禅問答のような、哲学のような、神の啓示のような。大袈裟に思われるかもしれませんが、私にとってはそんな感じです。

そうした時々の言葉と心模様を記録しておきたくて、帰宅するなりフェイスブックに投稿することがあります。私にとってフェイスブックは、ネット上の絵日記のようなもの。印象深いことがあった日は、写真を添えて投稿するのが、いい息抜きになっています。振り返ってみたくなり、いくつかピックアップしてみました。

今夜はアロマキャンドルヨガ。目を閉じて、自分の呼吸に意識を向けて。「手放したいものを呼吸にのせて、全部吐き出しましょう。ストレスだったり、傷みだったり…」って、先生。ヨガって、深い。

2014年9月12日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。久し振りに来たら、心も体もこわばっているのがよくわかる。「今日は、ただただ自分の呼吸に意識を向けてみましょう」って、先生。自分勝手はよくないけれど、自分中心はいいのかも。

2014年10月3日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。ここで聞く言葉はいつも心地いい。ネガティブな言葉は全部洗い流して、いい言葉だけ残して、今夜は眠ろう。

2015年11月20日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。「日常に起こる小さなアクシデントは、なにかのお知らせかも知れません」って、先生。お知らせだらけの毎日、気づきがいっぱい(笑)。そう思ったら、おもしろい。

2016年3月11日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。「自分の動きやリズムに違和感があれば、自分のイメージに変換することができます」って、先生。嫌なことは、嫌なまま残しておかなくていいんやなぁ。って、私流の解釈。

2016年4月1日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。スタジオの窓から満月。「満月の夜は、要らないものを手放しやすい日です。自分の感情のなかで、これは要らないと思うものを、吐く呼吸にのせて手放すことができます」って、先生。なんだか身軽になれた、満月の夜。

2016年4月22日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。「ちょっといいかも、って思えることを見つけられると、自分は変われる」って、先生。ここに来ると、あくび連発の私。しかもお構いなし。どんだけリラックスしてるんやろ。こんな緊張感のない私って、ちょっといいかも。

2016年5月27日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。マットに横になって、目を閉じて、深い呼吸をして。「評価しないで、自分を観察してみましょう」って、先生。なんか、涙が出た。

(ブログ評価しない

2016年12月2日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。まるで障害物競走みたいなこのごろ。一つクリアするたびに、息つく間もなく「ほら次、次」って急き立てている私がいて。「自分のペースに合わせて呼吸をしてみましょう」って、先生。それだけのことが、こんなに心地いいなんて。なんか、ほっとした。

2017年4月7日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。手を合わせて、目を閉じて、ただ立つポーズ。体が微妙に揺れるよう。「揺れを止めなくていいですよ。その揺れを味わいましょう」って、先生。わからないこと、決められないこと、だらけの毎日。そんな揺れている今も、大事な時間かも。 2017年10月20日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。「自分の中に秘めているもの、出し切れていないもの、そういうものに目を向けてみましょう」って、先生。えぇ~、私の中、そういうものでいっぱいや~ん。

2018年2月23日

今夜はアロマキャンドルヨガ。瞑想の時間。「頭の中を駆け巡るものが出てきたら、そっと眺めてみましょう」って、先生。それは怖いものだったりするけれど、そっと眺めてみる…、その距離感はいいかもしれない。

2017年3月9日

 

こうして読み返してみると、その時々の思いが、手に取るように思い出されます。時に途方にくれていたり、疲れ果てていたり。それでも、いつもいつも心にあったのは「明日、店を開けなくちゃ」という思いでした。

邪念が頭をかすめながらも、ひとつひとつポーズをとっていくうちに、少しずつ体の偏りが修正され、滞っていたものが流れていくのを感じます。連動して、心にも同じ感覚が。

得体のしれない巨大なものと戦い、翻弄されているように思っているけれど、実は自分のありよう次第なのかもしれない。そんなことに気づかされます。

帰宅後、フェイスブックの投稿を済ませ、軽い夕食を取り、お風呂から上がると、たちまち深い眠りに落ちていきます。翌朝の目覚めは、いつもすっきり。こうやって一週間、一週間…。

お蔭様で「しののめ寺町」は3月16日、6周年を迎えることができました。店と向き合ってきた年月は、とりもなおさず自分と向き合ってきた年月だったのだなぁと思います。そして、フェイスブックの私の拙い投稿に「いいね!」をくださった方をはじめ、たくさんの方に励まされてきた年月でもあります。

節目の5年を過ぎ、新たな力が必要な時が来ていると感じるこのごろ。ますますしっかり自分と向き合い、自分の中に秘めているものを惜しみなく出していかなければ。怖いことはいっぱいあるけれど、それでも踏み出していく勇気を持たなければ。そんなことを思っています。

来年、元気で7周年を迎えられるよう、この一年またがんばってまいります。これからもよろしくお願い申し上げます。

間(ま)

心と体のこと

2017年07月19日

店を始めて大きく変わったことの一つが、自由に動ける時間がめっきり減ったことです。開店時間中はもちろん、準備と片づけの時間、通勤時間を合わせると、一日の大半を店で過ごす毎日となりました。

休日は自由な時間かというと、そうはいきません。普段できない用事が山積み。あと欠かせないのが、心と体のメンテナンス。私にとって休日は、休み明けの一週間を心身ともに元気で、つつがなく過ごせるための準備の日、という位置づけです。

本当は、もっとしたいことがあるんやけどなぁ。って、心の中でぽそりと小さな声。行きたい場所、会いたい人、観たいもの、聴きたいこと…。あと、なぁんにも考えずに、ただぼんやり過ごせる時間…。

妄想をし出すとキリがありません(笑)。たまに一つ二つ叶う日があるのを楽しみに、たいていは、A地点で一つ用事をこなして、次のB地点へ移動。それが済んだらC地点…。あっという間に夕方で、あとは自宅で家事三昧。なんていうのが、開店以来の私の休日パターンです。

それでも、近頃、少し変わったなと思うことがあります。今までなら、寸暇を惜しんで立て続けに用事をこなしていたところを、移動の合間、軽くでもきちんと食事を取ったり。たとえ30分でもカフェでお茶をしたり。そういうことができるようになりました。

間(ま)を取れるようになったということでしょうか。

自分の体力気力の限界がわからず、全力疾走しては倒れ込むパターンを繰り返してきた私。それでは持たないと、ようやく学習効果が出てきた模様です。(ブログユルスナールの靴2

先月のある休日。早朝から気の重い用事がありました。昼過ぎにようやく終了。急いで帰宅し、手つかずの用事を片づけねば、と焦る思い。でも、それだけで休日が終わっては味気ない。少し歩いて、川沿いのカフェで遅めのランチを取ることにしました。

窓辺に席を取ると、大きな窓から青い空、白い雲、川辺の豊かな緑が見えます。そのまわりを鳥が飛び交い、想像力を膨らませると、ここは高原のカフェかと。木々が風にそよぎ、見えないはずの風が見え、聞こえないはずの風の音が聞こえてくるような。

窓という額縁の中の、私だけの小さな宇宙。

そこだけ時間が止まっているみたい。朝からの慌ただしさ、沈む気持ちがたちまちリセットされ、軽い心で帰路につくことができました。もったいないと削っていた時間を、間(ま)に当てるようになって、かえってあとの効率が良くなったように思います。

ある時は、ビル街のカフェで、中庭の木々が青々と日に照りかえるのを眺めて。ある時は、和風の喫茶で、坪庭の緑が、葉先に雨滴をたたえているのを眺めて…。なんでもない日常にも、キラキラしたものが散りばめられているんだなぁ、なんて思うひととき。こんなわずかな時間が、とても愛おしく思えるようになりました。

思えば、店を始める前「ほぼ専業主婦」だった頃、十分な時間を持て余し、その中にどう身を置いていいのかわからずに、立ちすくんでいたように思います。店を始めて、自由になる時間は減りましたが、代わりに、短いながらもとても贅沢な時間を手に入れたような。私は断然、こちらの方が性に合っているみたいです。

心急く時こそ、ゆったりと。心沈む時こそ、ご機嫌に。間(ま)をうまく取り入れて、いい時間の過ごし方をしていきたい。そんなことを思うこのごろです。

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